さんかいメモ

田舎でいろいろやってます、たまに旅

自粛の最後に気づいたこと

前回、このブログではカメラ/動画制作/旅行 etc...について書いていきたい。と言いましたが、今回はこの中のどれにも当てはまらないお話です。早速このブログの雲行きが怪しい雰囲気((((

思ったことを徒然なるままに書いていくので拙い文章になると思いますが、この曲でも聞きながら最後までお付き合いいただけたらと思います。

 

学校の宿題、課題はなぜするのか。言うまでもなく、自分自身のため、だと思います。

 

この当たり前のことが、私は今の今までわかっていませんでした。

 

宿題、あるいは課題は、先生に怒られないためにやるものだと思っていたんです。

 

これは正解や。そう思う人も多いかもしれません。ここから先はあくまで1個人の考え として受け止めていただければ。

 

宿題ってめんどくさいですよね。私は勉強が嫌いですし、宿題だってやりたくないです。正直。サボって提出しないことだってしばしばありました。でも、臨時休校で出された大量の宿題をしながら、ふと思ったんです。

 

「この教科の先生は好きやから、ちょっと丁寧にやってみようかな」って。

 

学校というのはサービス業に分類されます。先生がサービスを提供するスタッフ、僕たち生徒が消費者、という構図です。生徒側は“お客さん”ですから、授業を聞く必要や、半ば強制的に先生から出される宿題をする必要はないのかもしれません。

 

しかし、先生側からしてみればどうでしょう。先生は、生徒に学ぶ機会を提供し、勉強の方法や、知識を教えるのが仕事です。なので、例え授業を聞かない生徒や、一切宿題をやってこない生徒であっても、教える「義務」が生じているのです。生徒は、授業や課題を「聞く/する」、「聞かない/しない」の選択をすることができますが、先生は、教えなければならない、宿題を出さなければならない。の一択なのです。

 

学校というのは、先生の「教えたい」、生徒の「教わりたい」という利害が一致しているという前提の下で成り立っています。つまり、生徒は「勉強をしたいもの、宿題をしたいもの」としてみなされているのです。なので、「宿題めんどくさいからやらない」「遊びたいから宿題はやらない」や「眠たいから次の授業は寝よう」というのは少し違うのではないでしょうか。

 

学校の最終的な目標は「自立して、社会に出て働く」ということです。ですから、社会に出て働ければ、学校の勉強は必要ない。大学に入れればそれでいい。という人もいます。ですが、そういった考えの人は、本当に「自立して、社会に出て働く」ことができるのでしょうか。

 

「学校は社会の縮図」とはよく言ったものです。生徒である私たちは、宿題や授業という名の仕事をこなし、赤点や欠点、単位というノルマを課せられています。

 

こういった仕事は、本来ほかの何よりも最優先であるべきです。「宿題めんどくさいからやらない」「遊びたいから宿題はやらない」といった言い訳は通用しない、通用してはいけないのではないのでしょうか。

当然、先生は教えることが仕事ですから、学ぼうとしない生徒がいれば、先生は授業や宿題をやっていないと怒ります。教えるのが仕事であり義務ですから、学ぼうとしない客がいるならば叱ってきます。

 

たったそれだけで怒るのはおかしい。と思いながら、「単位ください」「入試の面接対策してください」などと自分の必用なことは要求する。あまりにも虫が良すぎるとは思いませんか。

 

そういう人はきっと社会でも同じことをして皆に嫌われます。そうならないためにも、社会に出る前の小さな社会で先生は教えてくれているのです。

 

先生はプロです。教えることに長けているし賭けています。先生は皆、自分の教え方に自信をもって、プライドを持ってやっているのです。そんな情熱の籠った課題を、授業を、寝る、提出しない、といった行為で簡単に裏切られてしまうのは、なんとも悲しいことではないのでしょうか。

 

私だって、自信を持って積み上げたものを馬鹿にされるのは超悲しいし、怒りの境地です。YouTubeで私の動画に低評価押した奴の家に怒鳴り込んで訳を小一時間問い詰めたいくらいです。でも同時に、そんな人に👍を押させるようなもっと素晴らしい動画を作りたい。そんな風に思うんです。自分でも、今になって昔作った動画を見ると稚拙だし下手糞だし手抜きだし、思うことはたくさんあります。そう感じるってことは少なからず自分も、数年間の中で進化してるんかなって。

 

これは先生もおんなじやと思います。どうやったら面白い授業ができるんか。取り組みやすい課題ってどんなんやろうって。日々考えてるんやと思います。先生ってこれからの日本、世界を背負っていく若者を育てる仕事。「世界のクリエイター」を育てる仕事。

 

ほんまに大切やし、なくてはならない。プロの仕事やと思います。

 

どの職業でもそうですが、生半可な覚悟じゃなれない、全員がプロ意識をもって、誰よりも高いプライドを持ってやってるんちゃうかなって。そう思うんです。自分たちはプロに教わってる。誰よりもすごい人に教わってるんや。って私たち生徒も誇っていいと思うんです。そういう気持ちがあれば自ずと授業とか宿題のほうに体が向くんやないかなって。

 

そうやって私たちが期待して、全力で勉強に取り組めば、先生もまた、期待に応えようとしてくれて、授業や課題はもっと良いものになっていくのではないのでしょうか。生徒を育てるのが先生とするならば、その先生を育てるのもまた、私たち生徒なのです。先生と生徒はお互いがお互いから学びあって、成長していく、切っても切り離せない存在なのではないでしょうか。

 

あの先生とは合わん、あの先生分かりづらい、とかあるかもしれません。苦手な人と関わっていくのも社会の勉強になります。社会に出ると綺麗ごとだけではありません。汚いことだらけやと思います。でも解決法は必ずあります。わかるまでとことん聞くとか、ほかの先生に聞くとか、友達に聞くとか。

 

SOSを出すことが大切なんやと思います。人に助けを求める。人が頼れるのは人です。同時に助けを求められたら助けてあげることも大切です。人に頼られるような人になれるようにまずは、少しずつ宿題でもいいし、授業でもいい、目の前のことから少しずつ。一歩一歩。まずは歩むことが大切やと思います。

 

最初は出来んくてもいいと思います。宿題だって「ごめんなさい。ここまでしかできませんでした。」出来なくても言う、伝えることが大切です。黙っていたら何もわかりません。情熱をもって伝えればちゃんと分かってくれるはずです。

 

情熱をもって。情熱がないと、人に気持ちは伝わりません。熱くなれ。その気持ちが自ずと強くなる動力になるんやないかなって。

 

完璧な人間なんていません。そんなこと皆わかってます。完璧じゃなくていいんです。人並みに出来なくていいんです。訓練して、練習していけばいいんです。最初からできていれば先生なんていりません。失敗しても大丈夫。人間は「灼け落ちない翼」を持ってます。次に生かせばいいんです。教えるために先生はいるんです。わからんかったら聞きましょう。

 

言うこと、聞くことで心は相当楽になると思います。そうして社会に出る練習、勉強していきましょうや。学生でも、社会に出た人であっても、今からでも遅くないと思います。人生に遅いなんてありません。思い立ったが吉日。可能性は∞です。その可能性を生かすのも殺すのも自分です。少しずつ、少しずつ。ゆっくり、ゆっくり。頼れる人は必ず居るはずです。わかんなかったら誰でもいい。聞いてください。

 

そして、忘れてはいけないのが感謝すること。ありがとう。この一言で救われるし、暖まります。感謝できる人の周りには豊かな人の輪ができるんやないかなって。思ってます。何事にもありがとう。言葉にするのが恥ずかしいんやったらまずは心の中で。

 

 

 

 

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ここまで拙い文章でしたが、お読みいただきありがとうございました。ほとんど自分にあてたものですね。意志が弱くて、何事も飽きたらすぐやめてしまいます。悪いとこかもやしいいとこかもです。でもここに書き留めとけば、少しでも変えられるかなって。あの先生の情熱が、変えてくれようとしてるんかなって。

 

ここに書いてあること、全部基本のことやと思います。

 

私はその基本ができてなかったんやな。って。私と一緒にひとつひとつ、ステップアップして行きましょや。今日からでも遅くない。先送りしたらあかん。今日から、一緒にがんばりましょ。

 

目覚めたらすぐに今日も歩き出そう

 

戯言にお付き合いいただきありがとうございました。